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1992.07.31up インタビュー特集
(週刊ファミコン通信(アスキー
))
「エーワンNo.1(週刊ファミコン通信1992年7月31日号増刊)」((株)アスキー刊)に掲載された<ボクのサクセスストーリー>コーナー。松下進が夢みていた将来は、なんと音楽家だった!




音楽がやりたかったんだよね、ボクは。絵は小さいときから好きでずっと描いていたから、絵を描くという行為はボクにとって当たりまえだった。好きだったしね。でも積極的にトライしたかったのは、音楽のほう。

中学1年の終わりごろにギターを弾き始めて、1年後にバンドを作って。気の合う仲間たち、同じ音楽を主張した者たちと巡りあって、セミプロのようなバンド活動かな。一応ギャラも貰ってた。

ボクにとって音楽は、自分自身の才能開発の部分だったんだね。努力をして、興味を持って、努力をして、技術を身につけて。そういうことしたのは、音楽のほうだったなあ。絵は全然しなかった。

こういう仕事してるし、絵を描くことについては、いまだから才能があったって言われてるけど、ボクにとっては意識しない才能だったな。で、意識した才能が音楽。だから、音楽で身を立てるべきじゃないかというふうに、自然に思ってたわけ。でも、結果的にはメンバーが抜けていって、音楽的にもまとまりがつかなくなって、バンドは消滅。高校3年のころだね。
自然にもうひとつの才能のほうが頭をもたげてきて、「おまえはもう、デザインでアレしたほうがいいよ」っていう成り行きになっていった。自分の希望としては、自分でやってきたことだし努力してきたことだから、音楽をやりたいという気持ちが強かったんだけど、傍らではもう自然に絵のほうへスーッと進んでいたんだね。まったく意識してなかったけど。好きとかいう感覚もなくて、絵はずーっと自然に描いてたから。

まあ、それからフリーランスになって悶々とした時期があって、実際に脚光を浴びたのは、大リーグの野球を特集したP誌の表紙を描いてから。雑誌に載ったイラストがきっかけで、その当時週刊誌になったP誌から電話があって、表紙を描いてみないかってことになった。P誌の副編集長が言うには、「表紙はある。これが使う写真とレイアウト。でも、もしアレだったらキミの絵のほうがインパクトあるから、2日で描いてくれるならやりたい。上がりがよかったら、写真と差し替えて使うから」

<画像クリックで拡大表示>

 やるっきゃないよね、これは。それから2日間徹夜。

パッと仕上げて持ってって、それがカバーに採用されたわけ。
それからはすごかった。一流のクライアントから、電話がかかってくるわくるわ。その1冊だけ、その表紙一発で。雑誌ってすごいなあって思ったね。
イラストレーターを目指してる人がいるなら、ヘンに背伸びをしないでほしい。ボクはいまだにそうだけど、映画は大好きだし、話題作り的なものは全部観るし、好きなものは必ず実行する。自分で好きだなって思ったことは、どんどん追っかける。たとえば好きな女の子ができたとして、その女の子のことを一生懸命追っかけるのと同じくらいのパワーで好きなことに全力投球していけば、自然と道が開けてくるよ。


好きなこと=自分の才能だと思うといい。たとえば暗い感じの絵のほうが好きな人は、その方向の才能があるわけで、無理して他人の方向に合わせることはない。人がみたら陰湿かなって思うような絵でも、「こんな絵じゃ売れない。もうちょっと明るめの絵を描こう」なんて思ったら絶対だめ。そういう人は、どんどん暗くなっちゃえばいい。暗いものをとことん探求していけばいいんだから。人がどう思ってるとかは、あんまり意識しないことだね。自分と自分の好きなことを信じてれば、大丈夫。

 音楽の場合でも、そうなのかもしれないね。ボクは音楽を諦めたことに対する後悔は全然ないし、やっぱりやめてよかったと思う。音楽で食べるってことは、すごく大変なことだからね。音楽をきちっとやってる人はみんなから尊敬されてる。そういう意味では、音楽家がいちばん偉いわけだ。


でも、もしタイムマシンがあって、もう一度あの時代に戻れたら、今度は音楽を選ぶかな。絵のほうはなんとなくやれたんだから、もういい。もう1回チャレンジして駄目でも、音楽のほうに賭けてみたいね。あのとき、もうちょっとこうしてたらっていう気持ちは、やっぱりあるし。積極的にこう動けばよかった、ああいう形のじゃなくて、こういう風にしておけばよかったのにってね。







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